氷ができない。
数週間前から氷ができないで困っていた。
なんだか、氷ようの水があふれ、冷凍庫に侵入してしまうのだ。
夏場に氷ができないと、本当に困るということが身にしみてわかった。
お茶も冷やせない。お素麺も冷やせない。どれだけ文明の利器に頼って生活しているかがわかり、ちょっと反省した。
何でも当たり前って怖いなぁ。有り難みを忘れてしまう。
ピアノは美しい音が鍵盤を押すだけで出る類まれなアコースティックな楽器。グランドピアノは楽器の王様だ。最近の日本は不況不況といいいながらまだまだ恵まれていて、状態のいいグランドピアノがそこかしこにある。おまけに弾く人も、いい音が出て当たり前、という雰囲気。数年前にブルガリアに行った時、驚いたのはまずピアノの販売店や、レンタルスタジオなどを全くと言っていいほど見なかったこと。(一応探したけど・・・あったのかもしれない。)グランドピアノもそこかしこにある訳でなく、ソフィア音楽院の練習室など日本では考えられないほど状態の悪いアップライトピアノばかりだった。(誠氏はそこで一番新しいベーゼンドルファーがある特別レッスン貸してもらい、コンサートのリハをしていた。そのピアノはさすがにいいピアノだった。)しかし、不思議なことにそこの音大生たちはみんな美しい音を奏でていた。彼らにとっては貴重な練習できるピアノなのだ。彼らはそのピアノから出てくる音に、耳を研ぎすまし、びっくりするような繊細な音を紡ぎだしていた。私もそのピアノに座りちょっと音を出してみたところ、自分の音の汚さに愕然としたのを覚えている。当時私は、そのピアノの状態の悪さに文句を言いたい気持ちだったけど、今思えばピアノは正直だ。私が無頓着な汚い音を出しただけなのだ。どんな状態のピアノにも必ず美しい音色は存在する。それを紡ぎだす努力を私は怠ったのだ。
状態が悪くなればなるほど、美しい音を出すことにたくさんの意識を必要とするけど、高性能なピアノのまえに座れば座るほど、そのピアノから出る美しい音色に敬意を払わなくなる。そういう意味で私のような日本人は高性能ボケしてるのだ。
受講生に言う前に私に言う。
もっと美しい音に敬意を払いなさい。その美しい音はあなたが出しているのではないかもしれない!